俺はお前を選ぶ
ヒノエは今日一日、ずっと自分が守るべき相手である神子姫をどこか一歩引いたような位
置で、見つめていた。
朔と話す時。
他の八葉と話す時。
白竜と話す時。
すべてにおいて違う神子姫に出会う事が出来る。
だが・・・。
こうやって、距離を置いて初めて気づいた。
神子姫は、みんなを頼っているようで実際はそうでないことを。
全て自分で背負い込んでいる。
そしてそれを弁慶は気がついて、何かと助け船を出している。
ヒノエは無意識に舌を鳴らした。
確かに異世界から来たと言うだけあって、興味のそそられる姫君ではある。
だが、所詮は女だ。
かわいいね、キレイだね、好きだよ・・・と甘く低く囁けば、顔を赤くして照れてうつむ
いてしまう。
だから、この神子姫も所詮はそこいらの姫君と同じだと思っていた。
「ともかく今は軍を動かす時じゃないんです。九郎さん。」
真剣に話す神子姫の顔は、何か確信めいたものがある。
軍議の間も、ヒノエは柱に背をもたらせながら窓の外を向いて聞いていた。
「だが、今ここで動かなければ、我が軍は敗北の道しか残ってない!」
敗北の道・・・ね。
ヒノエはチラリと九郎の事を見つめた。
追いつめられた大将が、よく取る間違った道だ。
さて、どうするのかな?神子姫は。
ニヤリとかすかに口元をあげてヒノエは神子姫に視線を移した。
すると神子姫は、九郎の事をあの真剣なまなざしで見つめていた。
「!!」
心臓が一瞬止まったかと思った。
何事も見透かしたようなあの、強い瞳。
こういう所が神子姫なんだといつも再認識してしまう。
神子姫は落ち着いた口調で話し出した。
「目の前の敗北で判断を誤る将はたくさんいます。」
いかにも負け戦をしてきたかのような口ぶりの神子姫。
へぇ・・・。
と意外そうにヒノエは神子姫を見つめていた。
「状況が詳しく分からない以上、ヘタに動けば・・・いくら勝ち戦で終わったとしても犠
牲がたくさん出れば、それは意味のないものになります。」
「だが!」
九郎が声を荒げて大声を出したが、神子姫はそれを制するように手を少しあげた。
さすがにこの行動で九郎も黙るしかなかった。
「負け戦と分かって戦うのは、愚か者のする事です。今は、出来る限り後退して軍の体力を温存するべきです。」
「・・・わかってる!そんな事はわかってる!!・・・だが・・・・。」
苦しいように九郎が俯き、拳に力を込めた。
ふーん。
源氏の頭領に何か言われてるって顔だな。
さーて、我が神子姫はどう出る?
「私は、・・・死なせたくない。」
まっすぐに射抜くように九郎だけを見て言った神子姫の言葉。
その場にいた誰もが、驚き目を見開いた。
それだけ、神子姫の言葉は真実を含めていたのだ。
「お前・・・。」
はじかれたように顔を上げる九郎に、今度はありったけの優しさを込めた微笑みを向けた。
「お願いです。これは私の我が儘です。でも、絶対に死なせたくない人がいるんです。」
死なせたくない人?
しかも今の神子姫は、軽く頬を染めている。
ふーん。
なんか面白くないね。
一体だれなんだか。
そうすると神子姫は弁慶に視線を送った。
互いに視線で会話をしているようだった。
へぇ・・・おっさんの刃にかかったてわけか・・・。
「九郎、僕も同じ意見です。あなた個人の意見で、数百の命が左右されるのですよ?」
なんとか撤退の方に話しを持っていこうとする弁慶。
神子姫も、何も言わずにあとは九郎の決断を待っているようだった。
仕方ないね。
俺もヤキが回ったのかな?
ヒノエはふと窓の外に視線を移して、独り言のようにつぶやいた。
「平家は他にも奇策を持ってるみたいだぜ。」
その言葉に九郎は顔を上げた。
「ほんとうか!?ヒノエ。」
だが、それには答えなかった。
早々に烏の持ってきた情報を教えるわけにもいかないからな。
するとそれに応えるように、神子姫の声が聞こえてきた。
「本当です。・・・今戦っている相手は、普通の武将ではないから・・・。」
普通の武将ではない?
・・・これは神子姫も何か情報を掴んでる証拠だね。
「ともかく、一度お開きにしましょう。」
「何も決まってないじゃいか。」
「だからですよ。少し気分転換して、空気を吸って来てください。そうしたら、決心も固
まるはずです。あとは九郎さんの心次第です。本当はわかってるはずですよ?何が最善な
のか・・・。」
それだけ言うと神子姫は、部屋から出て行ってしまった。
へぇ・・・やっぱり神子姫は面白いね。
俺はそのまま神子姫の後をつけることにした。
途中で弁慶が何か言っていたが、気にすることなく気配を消して神子姫の後をつけた。
気がつけば湊に来ていた。
海風を頬に受けて、じっと夕日を見つめる神子姫の表情。
それは景色を楽しんでいる・・・と言うカンジではなかった。
何かを耐えるような・・・そんな厳しい顔つき。
「熊野の海のがキレイだな。」
小さくつぶやかれた言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
たしかに熊野の海はどこよりもキレイだ。
だが、それは自分が熊野を好きだからと言う欲目もあると思う。
「どうしても勝ち戦にしなくちゃ・・・駄目だ。どうしたら・・・。」
?
何をそこまで神子姫は、悩んでいるのだろう?
ヒノエは静かに神子姫の背後に近づいた。
「ヒノエ君?」
声をかける前に、後ろを振り返って神子姫はいつも通りの表情で名前を読んだ。
「姫君は海が似合うね。サイコーの女神だ。」
「ふふふ。ヒノエ君らしい。」
少し顔を赤く染めながらも、答える神子姫。
だが、いつもと雰囲気が違っていた。
ヒノエはそのまま神子姫の隣に立った。
「なんで、ここに来たのか聞いてもいいかい?」
「夕日と海を見たかったの。」
「ふーん。確かに美しい神子姫にはお似合いかな?」
いつも通りの冗談めいた言葉。
だが、神子姫はその言葉すらも聞いていないように夕日を見つめていた。
この顔は・・・。
「一体、誰に思いを重ねているのか、しりたいね。」
「え・・・」
一瞬驚いたような顔をした神子姫だったが、直後照れたようなかわいらしい花の笑顔を向
けてくれた。
「へへへ。」
「妬けるねぇ。俺が一緒にいるのに、他の野郎の事を考えてるなんてさ。」
「前に・・・夕日を見るのに誘ってくれた人がいたの。夕日は一人で見るよりも二人で見
る方がサイコーだよ・・・ってね。夕日と同じ色の人だった。」
え・・・それって
何も言えずに神子姫の事を凝視するしかできなかった。
すると神子姫は、今まで見た事のないような、優しく色っぽい笑みを向けた。
「私はその人の為なら、どんな罪でも犯すよ。」
それだけ言うと、神子姫はヒノエを置いて、歩き出した。
罪?
ヒノエはその場から足が動けなかった。
一体、神子姫に何が起きたのだろうか。
昨日までは、あんな表情した事がなかったのだ。
どこか不安そうな、頼りないカンジだった。
だが、今朝合った時に違和感を感じた。
本当に神子姫かと思った程だ。
だからこそ、ヒノエは観察する事にしたのだ。
だが、どれもこれも神子姫と変わらない。
何が変わらないって、あの優しく神々しい程の全身からあふれ出すオーラは、例え偽物で
も出せるのは皆無に近いはずだ。
偽物・・・と、言うよりは・・・そう数年ぶりにあったような感覚。
見ない間に一体どんな苦労をしたんだろう・・・と思わせるような雰囲気。
今までなかった、時折みせる悲しい瞳。
気になって仕方なかった。
「頭領。」
どこからともなく小さな声が聞こえた。
ヒノエは、先ほどと変わらず海を眺めたままでいた。
「平家は、動きません。こちらが来るのを待ってる様子。」
「・・・ふーん、なるほどね。何かあったら、また教えてくれ。」
「あの・・・。」
何か言いづらそうにしている烏。
ヒノエは、何事もないように神子姫の消えた方の道を歩き出した。
「それが昨日の夜更けに神子姫様の部屋が、一瞬光やした。」
なんだって?
光・・・光・・・
考えつくことは一つしかない。
昔、自分の父親から聞かされた竜神と神子の話。
龍の逆鱗は時空を跳躍する力を持つと。
まさか・・・。
まさか神子姫は、本当に時空を・・・?
おとぎ話だと思って、信じてなかったヒノエ。
だがそれだと全てにつじつまが合う。
なるほどね。
ヒノエはニヤリと口元をあげた。
彼女は、この先の運命を知ってる。
そして、それをやり直す為にこの時間に帰って来たんだ。
彼女の記憶にだけ、悲しい結末が残って。
神子とはなんと酷い使命を帯びているのだろうか・・・。
自分達は、それを知らない。
だが、彼女にとってはそれは初めてでなく、何度も経験しているであろう事柄なのだ。
彼女のあの寂しいそうな悲しい瞳をする原因。
それは自分も入ってるのだろう。
ますます溺れてしまいそうだよ・・・神子姫様
だったら、俺は・・・
お前の為に動く。
ヒノエとして・・・熊野別当として・・・
お前を愛する一人の男として・・・。
熊野を動かす為には、勝算がなければいけない。
ならば、その勝算を作ればいいだけのこと。
神子姫はそれをやろうとしているのだ。
あの弁慶と共に。
なるほど。
と、なると弁慶も逆鱗の事に気がついているわけだ。
それで少し先に立ったつもりかよ?
甘いぜ。
俺を誰だと思ってる?
熊野別当 藤原湛増だぜ?
欲しいと思ったものは、どんな手を使ってでも必ず手に入れる。
まぁ、見ていなよ。
前の俺と言うか、未来の俺と言うか・・・
負ける気はないからさ。