神子姫の言霊
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あの戦いからもう半年の時が流れた。
私は、龍神の神子としてのつとめを終えて、本来なら元の世界に変えるはずだったが、
この世界に残ることにした。
それは、この世界でかけがえのない人を出会ってしまったから。
最初はなんてナンパな人だろうと思ったし、軽い人間だと思った。
でも、それは上辺だけであって、本当は思慮深く何よりも仲間を大事する人だった。
だから、私は彼を信じてこの世界に残った。
それが私の望みでもあったし、彼の望みでもあったからだ。
彼の名前は、ヒノエ君こと藤原湛増。
この熊野を治める別当・・・そして熊野水軍の頭領だ。
しかも熊野三山の神官も勤める。
若干17歳と言っても、大人顔負けの威厳さに自信だ。
私は、戦いの後すぐにこの熊野に連れて来られた。
戦の勝利のすぐ後、婚礼の宴となり・・・あっと言う間の半年だった。
今は熊野別当の奥方と言う肩書きがついて回る。
でも・・・
賑わいを見せる、この市場に今日も私は遊びに来ていた。
とは言え・・・ヒノエ君が船で出かけている時だけだどね。
「おや、また来たのかい?お嬢さん。」
恰幅の良いおばさん。
いつも海鮮を売っている陽気なおばさんだ。
私はよくこの店を手伝っている。
もちろん別当の奥方と言うのは隠して・・・だけど。
そりゃーヒノエ君ですら、自分が別当だって事隠してこのあたりを遊び歩いてるくらい
なんだから。
「おばさん、こんにちわ。今日はどう?」
「今日も大量だよ。そう言えば、聞いたかい?鎌倉の話。」
鎌倉・・・。
私はふと顔を曇らせた。
そろそろ来るとは思っていた。
きっと私の世界と同じ事が、元八葉だった人に起こるのだろう。
「ううん、知らない。」
「平家を滅ぼした、源氏の御曹司が鎌倉殿の怒りに触れてねぇ。」
やっぱり。
私は唇を噛みしめた。
「それで、その御曹司はどうなったの?」
「それが今失踪中なんだって。この町に来たら必ず知らせるようにってさっき
役人が怒鳴っていたよ。」
「そうなんだ。」
すこしおばさんの店を手伝って、私はそのまま海の見える港へと足を向けた。
この海の遙か向こうにヒノエ君がいる。
今は難しいと言われた交易を成功させようと頑張っている。
だから、ヘタに迷惑はかけられない。
もし私があの人を匿う事をすれば、源氏方について戦ったヒノエ君は、謀反の罪にきせられてしまう。
「九郎さん・・・。」
小さな声でつぶやいた。
そう、今追われているのは源義経・・・九郎さんだ。
そして、一緒に京都に残った弁慶さんも同じだろう。
私は、静かに目を閉じた。
半年前
「さーて、俺たちはこれで引き上げようか。早く親父にもこれを知らせてやらねぇーと
いけねーし。あいつらも女共に会いたいだろうしな。」
「とか言って、一刻も早く望さんをこの場から連れ去りたいだけでしょう?」
そう弁慶に言われて私は瞬時に顔を赤くした。
するとヒノエ君は面白い物でも見つけたかのように私の腰に手を回した。
「なーんだ、わかってるなら話しは早いな。俺の花嫁をあまり見せたくないんでね。
特にあんたには。」
そう言うと、ヒノエは一瞬にして殺気立ち、弁慶の事を睨みあげた。
そんな視線を受けても弁慶さんは、涼しい顔でにこやかにしていた。
「おやおや。君って子は叔父に対して冷たい言い方ですね。」
「叔父って言うな。ともかく、明日には熊野に戻るぜ。いいな?望」
「うん。じゃー、朔ちゃん。今日は一緒に寝よう?」
「そうだな。しばらく会えなくなるんだ。ゆっくり姫同士で語り合うと良いよ。」
「ありがとう、ヒノエ君。」
そう言うと私と朔は同じ部屋へと入っていった。
朔は少し悲しそうにほほえんで私と話しをしていた。
外から聞こえていた最後の語り合いの声が聞こえなくなって屋敷の中が急に静まり返った。
「みんなも寝たようね。」
「うん・・・。」
私はうつむいた。
それに気がついた朔は、不思議そうに私の顔を見つめていた。
「どうしたの?望。ヒノエ殿と夫婦になれて嬉しくないの?それとも自分の世界に返りたい?」
「違うの。・・・朔ちゃんにお願いがあって。」
「お願い?」
私は、強く頷くと朔の近くと寄った。
「これから話す事は、現実に起こるかわからない。でも、もし私の世界と同じ事が起こった
とすれば・・・どうしても助けたいの。」
「助ける?どういうこと?」
「・・・九郎さんは、この先鎌倉殿に疎まれて、この京を・・・いや、日本にいられなくなる。」
その衝撃の事実に朔は目を見開いた。
それもそうだろう。
鎌倉殿は、九郎さんの実の兄だ。
源平の戦いに終止符を打った、九郎を殺そうと考えるものかと。
「力のある物は、いずれは疎まれるものでしょ?」
「望・・・あなた・・・。」
「きっと、その時私は何の力にもなれない。ヒノエ君も同じだと思う。」
「・・・そうね。私たちも同じだわ、きっと。」
「だから、その時の為に弁慶さんに手紙を渡したいの。だから、字を教えてほしいの。」
朔の手を取り、望は懇願した。
かわいい瞳に涙を貯めた望が嘘をついているようには見えなかった。
朔は小さくうなづくと、ちょっと待ってね。と一言言って部屋を出て行った。
まさか、外にヒノエがいるとも気づかずに・・・。
翌朝、望は目の下にクマを作って朝餉に出てきた。
「どうしたんですか?望さん・・・。」
「朔と話していたら朝になってしまって、ね?」
同意を得るように朔を見ると、朔も苦笑してただうなずくだけだった。
ただ一人、ヒノエだけは黙って朝ご飯を食べていたが・・・。
みんなで港まで見送りに来ると、ヒノエは譲君達と何やら話し込んでいた。
私は、朔と話している弁慶さんと見つけると小さく声をかけた。
「弁慶さん、ちょっといいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「えっと・・・ここだと・・・。」
そう言うと弁慶はにっこりと優しい笑みを浮かべて、少し人から離れた所に歩き出した。
そんな二人を横目みるヒノエ。
ヒノエと共に、視線を送る九郎が、ヒノエの脇へと立った。
「なんだ、あの二人。もう出向だろう?ヒノエ。」
「まー、いいんじゃないの。」
意外そうに見る九郎にヒノエは眉間にしわをよせた。
「なんだよ。」
「いや・・・お前が望と二人で話しているのを見て、普通にしてるとはな。」
「今日だけ特別だよ。」
ふっと辛そうに視線を向けるヒノエ。
それを見つめる朔は、小さくため息をついた。
「おや、どうしたんだい?朔姫。ため息なんかついて。」
「ヒノエ殿、望の事よろしくね。」
「言われなくても、不幸せになんかしないよ。」
「・・・望が・・・。」
そう言ったまま、朔は下を向いてしまった。
ヒノエは困ったように苦笑すると、ぽんと軽く朔の肩に手を置いた。
「俺は望が悲しむような事はしない。あいつが望むなら、俺はいつでも動くよ。
それがどんな願いでもね。」
「ヒノエ殿・・・やっぱり・・・。」
全てを言わせず、ヒノエはニッコリと微笑んだ。
それを見て朔もようやく笑顔を取り戻した。
「そうね、ヒノエ殿なら・・・大丈夫よね。」
「そう言うこと。弁慶の事・・・頼むぜ?あれでも一様俺の叔父だからな。」
「ええ。何かあったらすぐに知らせを飛ばすわ。」
「頼むよ。」
互いに笑い合うと、二人は望と弁慶に視線を送った。
望は弁慶の後を静かについて行くと、何かを決心したかのように足を止めた。
その気配に弁慶も足を止めて、望の方を振り返った。
「弁慶さん・・・これを。」
望の手には一つの手紙が持たれ、弁慶に差し出されていた。
マジマジと見つめる弁慶。
望はじっと弁慶の事を見た。
「これは?」
「もし・・・もし、九郎さんに危険が迫ったらこれを読んでください。」
「九郎に?」
望は静かに頷いた。
「その前に読んではいけないのですか?」
「この行為はきっと・・・やってはいけないことだと思うんです。」
「やってはいけない?どういうことですか?」
そう、本来ならやってはいけない。
歴史を変えてしまう・・・大きな罪。
だが、罪ならもうとうに抱えている。
白竜の逆鱗を使って、時空を跳躍して運命を変えたのだから。
望は、静かに目を閉じた。
朔には止められた。
本当にそんな事をしていいのかと。
でも・・・。
望はゆっくりと瞳を開けて弁慶の事を見つめた。
その真剣なまなざしに、弁慶もいつもの笑みが消えてしまった。
「私は、八葉のみなさんが大好きです。例え、私がどんなに罪を背負ったとしても、
それでも私はみんなを守りたいんです。」
「これを読むことで貴方に罪を背負わせるなら、僕は読みません。」
「読んでください。これは、私からの最後のお願いです。」
最後。
そう言われて、弁慶は辛そうに望の事を見つめた。
彼女は一体、何を胸に秘めているのだろうか・・・。
「弁慶さんなら、きっと気づいてるはずです。これから何が起こるのか。また、
どうなりそうなのか・・・。」
「・・・望さん、もしや鎌倉殿の・・・事ですか?」
私は小さく頷いた。
それを聞いて、弁慶は望の手元にある手紙を見つめた。
それ以上は何も言わない望を見て、弁慶は深いため息をついた。
その手紙には、決して上手とは言えない文字で、「弁慶様」とつづられていた。
この世界の文字など、一晩で書けるものではない。
彼女の目のくまの理由がようやくわかった。
弁慶は静かに望の手に持つ手紙を受け取った。
「コレを書くために、寝なかったんですね。」
確信のように話す弁慶に、望は小さく頷いた。
「字が汚くてごめんなさい。朔に教えてもらいながら書いたので・・・最初は朔が代筆
をしてくれると言ってくれたんですが、これだけはどうしても自分で書きたくて。」
その言葉に弁慶は苦笑するしかなかった。
「あなたからの最初の手紙が、このような重要な手紙と言うのが残念ですが
・・・ありがとうございます。必ず、お約束しますよ。」
「弁慶さん・・・ありがとうござます。」
「きっと礼を言うのは僕たちの方になるんじゃないんですか?」
「・・・。」
黙って俯き、望はふと海に視線を移した。
太陽が上に登り切り、これから夏が到来するかのように暖かな日差しだ。
海鳥の鳴き声と波の音。
望は大きく空気を吸い込んで、はき出した。
「弁慶さん・・・生きてください。必ず。」
「望さん?」
「約束してください。」
「・・・わかりました。あなたに救って頂いた命です。必ず、どんな事があって
も生きます。九郎と共に・・・。」
望は嬉しそうに微笑んだ。
「望、そろそろ出向だよ。」
静かに歩み寄るヒノエに望は体を向けた。
「ヒノエ君。」
「用事は済んだかい?」
「うん。」
「そんじゃ、達者でな。」
「ヒノエ、望さんの事お願いしますよ。もし泣かせるような事があれば、僕は容赦しないですからね。」
にっこりと微笑みながらも言ってる言葉は怖いくらいだ。
ヒノエは面白くなさそうに、弁慶の事を見つめた。
「あんた、そろそろあきらめたら?」
「あきらめが悪いのは、貴方も同じでしょう?」
「チッ。あんたに心配してもらう事はねーよ・・・必ずまた会おう。」
「・・・ええ。」
「ヒノエ・・・くん・・・?」
ヒノエの何かを含む言葉に、望はふと不安がよぎった。
まさか、昨日の話しをきかれたんじゃないか・・・と。
ヒノエは望の肩に手を回すと、船の方へと歩き出した。
弁慶は、手紙を見つめ先に歩く二人を見つめた。
「・・・生きますよ。必ずね。」