神子姫の言霊


後 編

望はゆっくりと瞳を開けた。




失踪して行方が分からない・・・と言うコトは、あの手紙を読んでくれたんだろう。
この先の九郎さんと弁慶さんの運命を・・・。





大丈夫。




きっと弁慶さんなら運命を変える事が出来るはずだ。
望は静かに立ち上がり、屋敷に戻ろうと海を背にしたとき、望は胸に小さな痛みを感じた。





まさか・・・






ヒノエ君の言っていた交易って・・・






嘘なんじゃ・・・。






恐る恐る・・・海の方を向く。
もしかして・・・弁慶さん達を助けに?
望の心拍数がどんどん上がっていった。
体中の血が外に抜けるような感覚が次から次へと押し寄せて来た。
まさか・・・だよね・・・?
望は突然、屋敷へと全力で走って行った。









門の前に二頭の立派な馬がいた。
望は、その馬を見つめて屋敷へと視線を送った。
どう見ても都からの使者が来たとしか思えない。
望は裏口に周り屋敷の中に入った。

「あ、奥方!大変ですぜ。都の役人が来て頭領を出せと言ってまして。」
「ヒノエ君を?!」

望の脳裏に嫌な事しか浮かばなかった。

「今先代の別当がお相手を・・・。」
望は最後まで話しを聞くこともせずに自分の部屋へと走って行った。
慌てて入ってきた望に、望の教育係も兼ねている女房が驚いて目を見開いた。

「奥方様、いかが・・・」

望は自分の来ていた着物を脱ぎ始めた。

「すぐに着物を用意して。」
「え?」
「京からの使者と、私が話しをつけます。」
「それはなりません。湛海様から、決して奥方様を通してはならぬときつく言われております。」

やっぱり・・・お父さんは知っていたんだ。
望は自分の浅はかさを恨んだ。
なんで、気づかなかったんだろう。
どんなに難しい交易だと言っても、出かけにヒノエ君が中々自分を抱きしめて離さなかった。

「しばらく会えないからね。」

なんて、いつもみたいに冗談っぽく言っていたけど・・・。
あれは、もしかしたら戻ることが出来ないから・・・?



どうして?



どうして私に黙ってそんな事するの!?



望は、唇を噛みしめた。






「そんなに強く噛んでると、血が出るよ?望姫様。」






え?!





望は驚いて声のした方を振り返った。
渡り殿から歩いてくる彼は、いつも通りの笑みをたたえていた。
皆がその場に座り込み、頭を下げていく。



「ヒノエ君?!」
「いやぁ、姫君。俺がいない間寂しかったかい?」
「・・・。」



呆然とする望の顔を見て、ヒノエはニヤリと笑みを作った。
すると望の肩越しに、控えている女房に声をかけた。



「おい。今すぐに奥方を着飾ってくれ。」
「しかし、湛海様より・・・。」
「いいから。」

少し強めに言うと。ヒノエは望に視線を合わせた。

「望、いいね?」
「え?」
「お前はいつでも源氏の神子だ。この意味、わかるね?」




源氏の神子・・・。




望はじっとヒノエの事を見つめた。
源氏の神子・・・それはたとえ鎌倉殿でも入れない聖域。
望はヒノエの言わんとする意味を把握し、頷いた。

「さすがは、俺の奥方。俺は一足先に挨拶に行くよ。」

そう言うとヒノエは、望に背を向けた。

「おい、例の物を客間の庭に運んどいてくれ。」

庭に向かって言うと、どこからともなく男の人が二人が姿を現した。
ヒノエの前で膝をつき頭を下げる。

「いいね?」
「「は。」」

それだけ言うと、男達はその場から姿を消した。




例の物・・・?



望は不思議そうに、ヒノエの事を見つめた。

「ああ、そうだ。」

何かを思い出したようにヒノエは、ふと望を振り返った。

「?」
「おかえりヒノエ君って言ってくれないのかい?」










あ・・・。






「ごめん。お帰りなさい、ヒノエくん。」


慌てて口にだすとヒノエ君は嬉しそうに微笑んだ。

「ただいま。さて、久々に八葉のお仕事だ。」




八葉?
それだけ言うと、ヒノエ君は楽しそうに接客の間へと足を運んで行った。




「隠していても良いことはございませぬぞ?熊野別当殿。」

望は支度を終えて、客間に向かっているとそんな声が聞こえてきた。
何かを威圧するかのような物言いに、望は顔をしかめた。
後ろに控える女房は、何か恐ろしい物でも聞いたかのように見を縮めた。

「交易から戻ってみれば、何の騒ぎかと思いましたが・・・まさかあの弁慶殿と義経殿が謀反ですか・・・。」
「聞けば弁慶殿はこの熊野にゆかりのある者。ここに身を隠すのは十分あり得ます!」
「とは言ってもねぇ・・・。」




やっぱり・・・。




自分の世界で起こった事と同じ事が起きているんだ。
望は、拳に力を込めた。
私が今できることは・・・数少ない。



でも・・・。


望は、すっと顔を上げると後ろにいる女房に合図を送った。
女房は声を震わせながら、ヒノエ君のいる後ろの襖から声をかけた。

「別当様、神子様のお越しでございます。」
「おや、源氏の神子様が?」

わざと声を大きくして、ヒノエは襖の方に体を向けて仰々しく頭を下げた。
静かに襖が開かれると、全員が頭を下げて望を迎え入れた。

「お話中、失礼かとは思いましたが・・・」
「いえいえ。さ、どうぞこちらへ。」

ヒノエは望を自分の脇へと座らせた。


「み、神子様にはご機嫌麗しく・・・」


慌てたように言う都人に望は、ふっと微笑んだ。

「頭をお上げください。別当殿が留守の間、私がこの地を預かっておりました。
何があったのであれば、私にお聞きください。」


そう言うと、二人の武士は滅相もないとさらに頭を床と押しつけた。
そんな二人を見て、ヒノエはにやりと笑みを漏らした。

「神子様、私の留守の間謀反人がこの熊野に入り込んだとか?」
「謀反・・・?それはどなたのことでしょうか?」

そう言いながら、武士の方を見る。

「お、恐れ多く申し上げます。弁慶と九郎義経でございます。」

望はしばらくだまり下を向いた。
ふとヒノエの事を見つめると、望はにっこりと微笑んだ。

「この地は私がお守りし、熊野権現様のいらっしゃる神聖な土地。
そのような所に罪人が入ってこれましょうか?」

何かに挑むような、かつての戦姫を連想させるかのような望の視線が、男達を貫いた。
そんな望の目を見て、ヒノエは内心関心していた。

「そ・・・それは・・・・。」
「それとも、私が嘘を申し上げる・・・とも?」
「ま、まさか!!!今の源氏の世は、神子様のお力と言うコトは源氏一族全員
がとくわかっております。」

さらに望に向かってひれ伏す武士に、ヒノエはいつも通りの余裕な笑みを浮かべた。

「ほう、それを聞いて安心しました。それにしても、こんな遠くまでよくぞ参られた。
先ほど交易で仕入れてきた品物だが、鎌倉殿に献上して頂きたい。よろしいですか?」
「はは!!ありがたく頂戴致します!熊野には何なかったとご報告申し上げます。」
「それは良かった。これからも平和の為に、互いに手を取り合いたいとお伝えください。」

深く頭を下げる武士に、望は静かに近づいた。
なんだろうか?
自分が言った以外の行動をとる望に、ヒノエは黙って望の事を見つめた。
武士の二人の顔を上げさせると、望は、手元から二つの小さな入れ物を出してきた。
それは、酒が入ってるとすぐに判断した。


やるな、望。




ニヤリ・・・とヒノエは口元を微かにあげた。
望は、それはそれはとろけそうなくらい、優しく威厳のある笑みを浮かべた。

「これは神酒でございます。こちらは、あなた方お二人に。」



そう言うと望は、静かに立ち上がり自ら酒の瓶を二人に手渡した。



「ご厚意ありがたく!!」



感激のあまりと言ったところだろうか。
ヒノエはあらかじめ用意しておいた品物を庭先に出すと、そのまま客間を後にした。
もちろん神子と共に。






部屋に戻った望は、ふうと肩の力を抜いた。




「ご苦労様、神子姫様?」
「・・・大丈夫かな?」

心配そうに見つめる望に、ヒノエは優しく微笑みかけた。

「心配することないよ。あいつらは無事だ。」
「へ?」
「俺が保証する。」

いつもの自信のあるヒノエの表情に望はふっと微笑んだ。
何か成功したのだろう。
言えば同罪になる。
だからこそ、ヒノエは真実を告げる事なくただ「平気だ」と言うのだろう。
ヒノエが言うのであれば、大丈夫だ。
ヒノエは突然、望の腕を引いて自分の胸へと納めた。
驚き、慌てて離れようとする望だったが、ヒノエはそれを許すことはなかった。
望の肩に顔を埋めたヒノエ。

「リズ先生がうまくやってくれるよ。」

小さくつぶやかれた言葉。
望は横目でヒノエの事を見た。

「大丈夫。お前が悲しむ事なんかしない。俺は絶対に。」
「ヒノエ・・・くん・・・?やっぱり知って・・・。」


あの日。
今日の出来事を知っているのは、朔と弁慶だけだ。
望は小さくため息をついた。

「大丈夫なの?熊野別当が・・・。」

心配そうにささやくと、ヒノエはふっと顔を上げて望の事を見つめた。

「心配してくれるのかい?俺の奥方様は。」
「そりゃ・・・私はヒノエ君の妻だし・・・。」
「お前が悲しむような事はしない。それは俺だけじゃない。八葉全員が同じ意見だってことさ。」

そう言うとヒノエは懐から小さな紙切れを取り出した。
見たことのある流ちょうな字。
なつかしい九郎さんの文字だった。



熊野路の 赤松が枝を引き結び ま幸くあらばまた還り見む
熊野路にはえている赤松の枝と枝を引き結んで、無事であったならば再び帰ってきてこれを見よう。



あのにっこりとした九郎さんの顔を思い浮かんだ。


心配するな。

そう言っているような文字だった。
望の瞳から涙がこぼれ落ちた。

「まったく、どんな形にしろ俺の奥方を泣かした罪は重いね。」

からかうように笑みを含んだ声が聞こえた。
望はふとヒノエの事を見つめた。

「帰ってきたら、その罰を償ってもらわないとな?」
「・・・うん・・・。」

どこでもいい。
無事で生きていてくれるなら。
大丈夫。
平家だって本来はあの海で一族断絶の歴史だったはずが、将臣君が変えたんだ。
これだって返られる。
ちょっと待って・・・。
望はふと、あの最後の戦いの時に言った将臣の言葉を思い出した。





もし、お前達がやばくなったら、必ず助力する!!いいな!九郎!!






そうか。
将臣君もこの歴史を知っているんだ。

「将臣・・・くん・・・?」

自分でも聞こえない程に小さくつぶやいた言葉だったが、ヒノエにはちゃんと聞こえていた。
満足そうに微笑むヒノエ君。

「さすがは、望だね。その賢さには頭が下がるよ。」

そう言うことか・・・。

「だから、俺は大丈夫って・・・ね?」

おもしろがるようにのぞき込むヒノエ君に、望も嬉しそうに微笑んだ。
ふと庭にかかる月を見上げる望。
それにつられるようにヒノエも月を見上げた。


わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 まさやかにこそ



ヒノエ君の口から流れるように歌が出てくる。
望はヒノエの事を見つめた。
海上に大きく美しくなびいた雲に夕日がさしていたが、今夜の月はさやかに照ってほしいものだ・・・か。


「そうだね。龍神のご加護があらん事を・・・。」



その言葉を聞いてヒノエはクスリと笑った。


「なーに。」



「いや、龍神の神子姫様の言霊だ。必ず無事だと思ってさ。」




そう言うとヒノエは望の肩に手を回した。
そのぬくもりが暖かくて、望はヒノエにもたれかかるように月を見つめていた。




いつまでも・・・。




みんなが同じ月を見ていると・・・思いながら・・・。







どうか・・・みんなが無事ですように・・・と。





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